原因不明の全身の痛み(全身症状を伴う顎関節症)

 ひとつ一番の変化は、身体の痛みがなくなったことです。たまに少し痛いなと感じることはありますが、治療を始めた頃の強い痛みは消えてしまいました。正 直、ここまで良くなることは考えることが出来ませんでした。受診しながら失礼かもしれませんが、治してもらえるとも思っていませんでした。

 

 私は病気のことも、自分の人生にあったことも、ほとんど受け入れることが出来ませんでした。現実に対して、戦ったり、逃避したり、無視してみたりという姿勢を繰り返して、どれも楽になるためにやっていたことなのに、年中疲れきっていたような気がします。

 

 ここ何年か、病気のことを受け入れることができはじめ、自分のとても嫌なことも、「見つめる」という選択肢を持てるようになりました。

 

 環境の変化もありました。二年半ほど前、職場の部署を異動し、日常的に接する面々がガラッと変わったことです。新しい部署にいたのは、自分がこれまで接 したこともないような、いい人々でした。もしかしたらごく普通の人達なのかもしれませんが、私は育った環境も含めて、人にはほとんど恵まれてこなかったので、こういう過ごしやすい場所ってあるんだと、毎日そういう人達に囲まれて仕事ができる自分のことを、今、本当に幸せに思っています。

 

 それ以外でも、言葉にまではならないですが、日常のいろんなこと、色合いがここ何年か、変わってきたと思っています。穏やかな時間が増えました。

 

 今の私が、もう病気を作り出さないような自分になったとは、私は思いません。しかし、今後、例え病気をしながらであっても、自分なりに進んでいければ、それでいいのだと思っています。

 

 診療に携わっていただいた先生方、スタッフの皆さま、長らくお世話になり、助けていただきありがとうございます。ドロップアウトせず、淡々と治療に通えたのは、皆さまのおかげでした。御身体には気をつけて、今後もご活躍くださいませ。

 

 ご尽力ありがとうございました。

 

院長より
 「なぜ、彼女が治ったのか」の答えは、約1年前の感想文の中に記されています。
 病気を受け入れる、病気と闘わない、自分の間違いに気づく、すべて自然の仕組みと調和する方向への意識変換です。
 この症例から、意識変換の重要性を知ることができます。意識変換と的確な肉体の治療を行うことにより、病気が治る方向へ導かれました。

 

<約1年前の感想文より>
 治療を始めた当初と変わった点について。
 自分の身体をどうにかしなくてはいけないという思いが強く、ごく普通の若者の身体が羨ましくて、私もそんな風でありたいという思いばかりが募り、つらくてやりきれなかった記憶があります。
身体の状態としては、初めて相談に来た頃の状態よりは落ち着きました。ただ、今は痛くなくても、二、三日か五日後かおそらく一週間待たないうちに、また痛むだろうなということを否定ができません。圧倒的な痛みの前では毎回、残念ながら私になすすべはない状態で、私の右半身はやはりおかしいです。


 しかし、気持ちの上では、治らなくてはイヤ、駄目、最悪から、痛みつつ生きるのもありだという方向に変わりました。もういいやというか、投げているわけではなくて、仮にこれから先もずっと痛みから解放されることがないことを思っても、以前ほど心が痛まなくなりました。こういう身体でなかったら出来ないことをし、言えないことを言い、分からないことを分かればいいのだからと思って、一般的な若者の身体への憧れは絶つことにしました。それはこの十年で一度もできたことがなかった覚悟のようなもので、自分にとっては大きな変化です。


 数年前、血液のガンを患い、命の限りが見えた方が、痛みの最中に「生きているから痛いんであって…」と胸を押さえて、ちょっとだけ嬉しそうに、少し誇らしげにしていた姿を見たことがあるのを最近思い出し、痛みというのは必ずしも苦しみを伴うものではないということが、今の私と自分の身体の痛みとの落としどころだと考えています。
引き続きお願いします。